寺宝・仏像・文化財

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寺宝・仏像・文化財

秘仏 鉈彫薬師三尊像をはじめ、丈六の薬師如来像・阿弥陀如来像、
また四天王像、十二神将像など、東国随一を誇る文化財を一堂にご覧頂けます。

  • 国指定重要文化財
  • 平安時代

秘仏 御本尊 白眉といわれる傑作

鉈彫 木造薬師如来両脇侍像〈薬師三尊像〉

月の光を象徴する

月光菩薩立像(左)

像高 123.9cm
現世の願いを叶える

薬師如来坐像(中央)

像高 116.6cm
太陽の光を象徴する

日光菩薩立像(右)

像高 123.3cm

宝城坊の本尊で、三尊ともカツラの一木造です。当山の歴史の中で一番古い仏像で、最も大きな特徴は、「鉈彫り」※なたぼりと呼ばれる技法で造られていることです。この「鉈彫り」は仏像の表面にノミ痕を意図的に残す技法で、見る角度や位置、光の量などによる陰影の変化によって仏像の印象を変える視覚効果を持っており、関東地方を中心にした東国固有のものです。平安時代の歌集『相模集』の筆者である相模守大江 公資の妻相模や鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝とその妻北条政子も本尊を拝したと考えられます。

薬師如来御真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

日光菩薩御真言 オン ソリヤ ハラバヤ ソワカ

月光菩薩御真言 オン センダラ ハラバヤ ソワカ

御本尊開扉日
御本尊の開扉日は年5回です
・1月1日~3日
・1月8日 初薬師
・4月15日 春季例大祭〈本尊開扉大法会〉
※拝観料が必要です。
仏像の場所はこちら
  • 国指定重要文化財
  • 平安~鎌倉時代
  • MAP

丈六 木造薬師如来両脇侍像
〈薬師三尊像〉

  • 薬師如来坐像 (中央) 像高 235cm
  • 日光菩薩立像 (右)  像高 283cm
  • 月光菩薩立像 (左)  像高 271cm

関東地方には数の少ない「丈六仏」で、寄木造(よせぎつくり)です。御本尊のお前立ちとなります。平安時代末期から鎌倉時代初期(12世紀末から13世紀初)に造られたと考えられています。頭部に古い手法が用いられているのに対し、顔立ちや体の表現には鎌倉時代の力強さが見られます。

  • 国指定重要文化財
  • 平安~鎌倉時代
  • MAP

極楽浄土の教主 丈六 木造阿弥陀如来坐像

  • 像高 273cm

関東地方には数少ない「丈六仏」で、寄木造(よせぎつくり)です。平安時代末期から鎌倉時代初期(12世紀末から13世紀初)に造られたと考えられています。向かい側に鎮座する薬師如来坐像と比べると、幾分顔つきがおとなしく、薄い胸幅や低い膝などの表現に平安時代の特徴が残されています。体内には、寛保元年(1741)に修理したことを書いた木札が納められています。

御真言 : オン アミリタ テイセイ カラウン

  • 国指定重要文化財
  • 鎌倉時代
  • MAP

東西南北の守護神 木造四天王立像

  • 像高 201~212cm
  • 持国天(じこくてん)
  • 広目天 (こうもくてん)
  • 増長天(ぞうちょうてん)
  • 多聞天(たもんてん)

関東地方で屈指の大きさを誇る四天王像です。持国天、増長天は左右対称の姿勢をとり、片手を上げ、一方の手を腰にあて、片方の足に大きく体重をかけています。広目天と多聞天も対称的に持物を持って、ほぼまっすぐに立っています。これら二組の像により動と静の対比が見事に表現されています。躍動感と力強さがみなぎる作風から鎌倉時代前期(13世紀頃)の作と考えられています。

  • 国指定重要文化財
  • 鎌倉~南北朝時代
  • MAP

薬師如来の眷属 木造十二神将立像

  • 像高 158cm~175cm
  • 宮毘羅大将(くびら)-子
  • 迷企羅大将(めきら)-寅
  • 額禰羅大将(あねら)-辰
  • 因陀羅大将(いんだら)-午
  • 摩虎羅大将(まごら)-申
  • 招杜羅大将(しょうとら)-戌
  • 伐折羅大将(ばさら)-丑
  • 安底羅大将(あんちら)-卯
  • 珊底羅大将(さんちら)-巳
  • 波夷羅大将(はいら)-未
  • 真達羅大将(しんだら)-酉
  • 毘羯羅大将(びから)-亥

薬師如来の眷属として、等身大に造られた大型の十二神将像です。南北朝時代の暦応3年(1340)に鋳造された宝城坊を当山の銅鐘に「勧請十二神将」の銘文が見られることから、その時期に造られたとの説がありますが、像の姿形から判断するとやや古く鎌倉時代後半(13世紀末)の作とも考えられています。

  • 国指定重要文化財
  • 鎌倉時代
  • MAP

日本最古の禅宗様 宝城坊旧本堂内厨子

  • 高さ 5m 幅 2.5m

本尊の薬師三尊像を安置する厨子です。厨子の大きさは、桁行約2.5メートル、梁行約1.5メートル、高さ約5メートルと大型で、厨子というよりはお堂に近い本格的な建築手法で造られています。年輪年代分析の結果、13世紀前半の作の可能性が強まり、禅宗様の影響を受けた日本最古の例の一つとして、きわめて重要な建築と位置づけられています。

  • 国指定重要文化財
  • 江戸時代
  • MAP

本堂(薬師堂)

  • 間口 約22.7m 奥行 約17m 高さ 約17.7m

壮大な茅葺き屋根の建物で、周囲の山を背景にどっしりと建つ姿には圧倒されます。簡素ながらも中世的な趣を伝える広大な内陣と、近世的な華やかな外陣の構造、また墨の黒と弁柄の朱が目を引きます。江戸時代の万治3 年(1660)に旧本堂の部材を利用して再建され、その後寛保3 (1743)から延享2 年(1745)にかけて改修され、さらに平成22 年から28 年にかけて、延享期以来約270 年ぶりとなる大規模な保存修理工事が行われました。現在ではよみがえった美しい本堂の姿を見ることができます。

  • 県指定重要文化財
  • 平安時代
  • 江戸時代
  • MAP

東国最古の十二神将 本堂須弥壇
薬師如来坐像 十二神将立像

  • 薬師如来 像高 51cm 十二神将 像高 64.2~71.8cm

全体的な彫技が整い、江戸時代の作と考えられている薬師如来坐像を囲んで安置されている十二神将立像は、近年の調査で10体が平安時代後期にさかのぼり、残る2体も江戸時代に大きく修理されているものの、頭部は他と同時期の制作と考えられます 。現存する東国最古の十二神将像であり、身に着ける甲や装身具に獣の意匠を用いる点が特徴的です。これらの像は、平安時代の長寛2年(1164)に絵仏師である長覚房定智( ち ょうかくぼうじょうち)が唐本から写し、高野山に伝わっていた図像(通称「定智本」)と細部まで一致するものがあります。定智本とこれほどまでに一致する彫像は他に例がなく、本像が都で制作された可能性を示しています。

諸仏

  • 平安〜江戸時代
  • MAP

木造千手観音立像

胸の前、及び腹の前で合わされている両手は、体と同じ木材から掘り出されている一木造の仏像です。昭和期に実施された調査の時点では、江戸時代の作であると評価されていましたが、近年の専門家の見立てでは平安時代まで遡るとの考え方もあります。

御真言 : オン バザラ タラマ キリク

  • 市指定重要文化財
  • 鎌倉時代
  • MAP

木造賓頭盧尊者坐像

おびんずる様と呼ばれ親しまれている仏像で、撫でるとその部位の怪我等が治る「撫で仏」として信仰されています。お釈迦様の弟子の一人で、神通力を持っていたといわれています。
鎌倉時代初期頃につくられた仏像です。

  • 江戸時代
  • MAP

当山 開基 木造行基菩薩坐像

当山を開創した僧です。左手に如意、右手に金剛杵という仏具を持って座っています。本尊の薬師如来坐像の光背銘によると、江戸時代に数回の補修が行われていることがわかります。体内に多数の銘札を納入していますが、取り出すことはできません。

  • 江戸時代
  • MAP

真言宗 開祖 木造弘法大師坐像

右手を胸の前で捻って五鈷杵という仏具を持ち、左手には数珠を持つ一般的な様相の弘法大師像です。顔立ちや衣服の着用などが写実的で上手の作といえます。近代に一度修復しています。

御宝号 : 南無大師遍照金剛

  • 江戸時代
  • MAP

修験道開祖 木造役行者像

顎髭をたくわえ、頭には頭巾をかぶり、高下駄を履いて座っている像です。役行者は飛鳥時代に山岳信仰である修験道を開いた人物で、本名を役小角といいます。詳しい詳細は不明ですが、修験の寺として栄えた当山で、江戸時代につくられた像です。

  • 江戸時代
  • MAP

石造聖徳太子孝養像

明和(江戸時代)につくられ、この地域の石工様から奉納された像です。この像は孝養像とよばれ、聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を祈り、仏に香を捧げる16歳の時の姿とされています。

白衣観音像

吉祥を表す観世音菩薩で、三十三観音の一人に数えられています。詳細は不明ですが、いつの時代からか、安置され信仰されています。

御真言 : オン シベイティ シベイティ ハンダラ バシニ ソワカ

木造釈迦如来坐像

仏教の開祖である釈迦=ゴータマ・シッダルタをあらわした像です。悟りを開いた釈迦が大衆に教えを説く説法像であり、両手は一般的な法界定印を結んでいます。近代に奉納された仏像になります。

御真言 : ノウマク サンマンダ ボダナン バク

  • 市指定重要文化財
  • MAP

木造金剛力士像

江戸時代末の天保4(1833)年、鎌倉仏師の後藤真慶が造像したことが、本堂内にある賓頭盧尊者像の台座裏に書かれています。高さ3.5mを超える市内唯一の貴重な金剛力士像です。

十三詣り 本尊 石造虚空蔵菩薩立像

広大な慈悲と智慧を授ける仏として、奈良時代から地蔵菩薩とともに庶民の間で信仰されてきました。もともと、日向山の奥の院に祀っておりましたが、こちらの霊樹に移動しました。

修行大師像 (弘法大師)

行脚姿の立像で、錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴された時のお姿です。
修行時代の弘法大師のお姿で、手を合わせる人がたえません。

水子地蔵

水子の供養のために信仰されている地蔵尊です。ご供養された方の水子地蔵を安置しております。

御真言 : オン カカビサンマエイ ソワカ

子育て地蔵と地蔵菩薩

本堂に向かって左側のスロープ途中に鎮座する仏群です。可愛い赤い頭巾を被って前掛けを着けています。石造仏の中には天保年間の銘が確認できるため、江戸時代の後半に制作されたものと考えられます。

彫刻・工芸・建築/その他

  • 国指定重要文化財
  • 南北朝時代
  • MAP

銅鐘

暦応三年二月十五日の銘あり

南北朝時代の暦応3年(1340)に権少僧都豪海が、鋳物師の物部光連に造らせた銅鐘です。鐘の銘文には、平安時代後期の天暦6年(952)に村上天皇の発願によって京都から奉納され、その後仁平3年(1153)に鳥羽上皇の院宣により改鋳され、のちの暦応3年(1340)に鋳直されたことが記されています。いずれも、都と密接な関係を有していたことを物語っています。

  • 市指定重要文化財
  • 江戸時代
  • MAP

鐘堂

境内の東側にあり、国指定重要文化財の「銅鐘」を吊るしています。昭和54年に改修工事が実施された時に発見された棟札には、宝暦 13年(1763)に修理されたことが書かれていました。建造はそれ以前となり、現存する県内最古級の鐘堂であることがわかりました。四方の柱がそれぞれ3本一組で計12本となっていることが特徴です。銅鐘の銘文にある「十二神将」に囲むと考えられます。

  • 県指定重要文化財
  • 戦国時代
  • MAP

大太鼓

この大太鼓は直径1.38メートルと非常に大きなものです。胴部の内側には墨で、この太鼓が寺の祭りや江戸への出開帳に使われていたこと、皮を3回張り替えたことが書かれています。張り替えの年号で最も古いものは、戦国時代の天文9年(1540)で、この太鼓が造られたのはそれ以前と考えられます。この大太鼓が類いまれな大きさであったことを物語る昔話が「日向薬師の大太鼓」として語り継がれています。
御真言 : オン バザラ タラマ キリク

  • 県指定重要文化財
  • 国指定重要文化財
  • 鎌倉時代
  • MAP

木造獅子頭

鎌倉時代から南北朝時代初期の作といわれ、県下では最も古い獅子頭です。雌雄二面あり、表面は黒漆塗、唇や目尻等は朱漆で表現されています。大法要では行列の先頭に立ち、祭典の際には舞の面とされました。また、干ばつの時には、この獅子頭を本堂裏手の滝に浸す雨乞いの行事を行ったと伝えられています。

  • 県指定重要文化財
  • 南北朝時代
  • MAP

錦播 (きんばん)

幡は仏殿内の柱や天蓋にかけたり、堂外の庭に立てたりして、仏や仏堂を飾り讃える仏具です。わが国には仏教伝来とともに伝えられたとされています。国内にある最古の錦幡は法隆寺にありますが、形状がはっきりとわかるものでは、宝城坊の錦幡が最古にして最大であるといわれています。※現在、金沢文庫にて一時的に保管しております。

  • 県指定重要文化財
  • 南北朝時代
  • MAP

唐櫃 (からびつ)

錦幡を入れるために造られた木製の櫃です。被せ蓋造りの箱に 6脚の足が付けられ、底裏で井桁に組まれています。材質は杉で、内外面とも黒漆が塗られています。蓋は一枚板で、内面に朱漆で薬師三尊を示す梵字が書かれ、身内部の側面には南北朝時代の延文2年(1357)6月に重順、豪海によって納め造られたことが書かれています。

  • 江戸時代
  • MAP

仁王門

日向薬師バス停から、参道を登る途中にあり、県の天然記念物である寺林に囲まれ磨り減った石段とともに、幽玄な景観を形作っています。天保4年(1833)の金剛力士像が安置されていることから、同時期に再建されたものとされています。寄棟造りで、屋根は現在鉄板葺きとなっています。

勅額

『新編相模国風土記稿』によると、「一条院の賜物にて、行平筆 竪二尺五寸五分、横一尺六寸」とあります。一条天皇の在位期間(980~1011)からすると10世紀末から11世紀初頭に同天皇から下賜されたということになりますが、真偽は定かではありません。また、行平という人物については『日向薬師縁起』の中にも記載があり、因幡国(現:鳥取県)の国司で、行平のもとに薬師が飛来したとのいわれがあります。

  • 室町時代
  • MAP

頬あて

甲冑の一部で、顔、特に頬から顎、首にかけて防護するための武具です。戦において、敵を威嚇する効果も含んでおり、仮面的に使用されました。この頬当も口を大きく開けて顎を突出させており、異様な顔立ちをしており、革製で漆を塗り重ねています。定かではありませんが、伊勢原に縁の深い戦国武将である太田道灌が所用していたとされています。

  • 室町時代
  • MAP

錫杖 (しゃくじょう)

銅製で、長さ38cmと一般的な錫杖頭より大型であり、実用的というよりも法会の場などを荘厳する威儀物として用いられたものと考えられます。江戸時代に編さんされた「新編相模国風土記稿」によると、武蔵坊弁慶が所持していたものとあり、寺宝の一つに数えられています。

  • 市指定重要文化財
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伝妙沢不動尊版木 他版木一式

縦118センチメートル、横38.5センチメートルの桜の板に不動明王の立像が彫られています。年代は鎌倉時代末から南北朝期(14世紀)に活動した妙沢作の絵をもとに彫られたのであろうとのことで、同時期のものといわれています。市内の社寺に残る版木の中では最古・最大といえるようです。その他にも歴史を伝える版木が多く残っております。

破損仏一式

文化財として指定にはなっておらず、破損も著しいものの、宝殿内にはいくつかの小仏や仏像、光背の一部とみられる部材が保管されています。中には平安時代の作とみられる小型の金剛力士像もあり、霊山寺であった頃の本尊の随侍像とも考えられます。

  • 天然記念物
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宝城坊の二本杉・寺林

樹齢は推定約850年で、二本の杉が南北に並んでいます。関東公方の足利基氏が寄進した「宝城坊の錦幡」を掲げられた「幡かけ杉」とも呼ばれ、県の天然記念物に指定されています。境内には、スダジイ、モミ、イロハモミジ、ケヤキ等の自然樹木とスギの植栽樹木が混在しています。また、参道の面積は狭いながら自然植生に挟まれているため景観に優れ、幽玄で、厳かな雰囲気を保っています。